【企画編#03】『遊び』とは何か?

LINEで送る
Pocket

a03

私達は小さい頃から鬼ごっこ、折り紙、ブランコ、ままごと、スポーツなどの「遊び」に興じています。人生をより豊かにするためにも「遊び」はなくてはならないものです。

そしてビデオゲームもこの「遊び」の1つです。しかし、多くの人が初めてビデオゲームを作る時、それが「遊びになっていない」ことがしばしばあります。良いゲームを作るためにも、まずは「遊び」そのものについて理解していきましょう。

今回の話では、フランスの思想家ロジェ・カイヨワの著書『遊びと人間』を参考にしています。

 

目次

遊びの定義

そもそも何をもって「遊び」と言うのでしょうか?カイヨワは次の6つの特徴から遊びを定義しています。

 

①自由な活動

”遊戯者が強制されないこと。”

企画編#02の中でも触れていますが、人から強制されて行う行為は楽しいと感じることが出来ません。あくまで「やってみよう」という自分の意思で行動を行うことが前提となります。

 

②隔離された活動

”あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲内に制限されていること。”

サッカーや陸上競技などのスポーツは、空間と時間が明確に制限されているのが分かりやすいと思います。ビデオゲームの場合、家庭用ゲーム機なら屋内のテレビの前、スマートフォンのゲームは屋外でも屋内でもプレイ出来る、といったようにハードウェア・ソフトウェアごとに制限の幅がかなり大きく変わってきます。しかし、ビデオゲームにおいての真の意味での空間・時間の範囲とは、ディスプレイに映し出されているゲーム画面の中の世界こそが、この隔離された範囲に当てはまるのではと思います。

 

③未確定の活動

”ゲーム展開が決定されていたり、先に結果がわかっていたりしてはならない。創意のための自由が残されていなくてはならない。”

ビデオゲームでもプレイ次第で勝ったり負けたり、あるいはゲーム進行の過程で「あっちの道から行ってみよう」「こういうプレイをしてみよう」といったプレイヤーが創意する余地が残っている必要があるということです。映画や本、受動的に受けるだけのモノは、この創意の自由がないので「遊び」とは言えないわけです。

 

④非生産的活動

”財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。遊戯者間での所有権の移動を除いて勝負開始時と同じ状態に帰着する。”

例えばメンコのように、勝った人が負けた人のメンコをもらえるのは、新しい要素増えているわけではないのでOK。しかしパチンコやスロットなどのギャンブルは、その行為によってお金という別の要素を得たり失ったりするので「遊び」とは言えないということです。同じように、プロ選手がその活動によって収入や賞金を得ているのであれば「遊び」ではなくなります。遊んだゲームを実況動画として配信する場合なども、それによってお金や知名度を得るのが目的なのであれば、非生産的な活動ではなくなるので「遊び」じゃなくなります。

しかし、「遊び」の中では自然と知恵や知識を得たり、身体を動かすことで健康になったり筋肉がついたりすることもあります。これは新要素を作り出すことになってしまわないでしょうか?これは遊戯者が何を目的としているかという、意識の問題ではないかと考えます。知識を得たい・健康的な身体をつくりたい・有名になりたいなど、遊ぶこと以外を目的として行っている場合は生産的活動になると考えられます。非生産的活動とは「遊ぶことそのものを目的」としてそれ以外の一切を求めないことも必要だと思います。

 

⑤規制のある活動

”約束事に従う活動。この約束事は通常法規を停止し、一時的に新しい法を確立する。そしてこの法だけが通用する。”

簡単に言えば、その遊び独自のルールが存在するということです。「ここがゴール」「これをしたらダメ」「これを使ってよい」「先に●●したら勝ち」などですね。遊びの間はこのルールが絶対の法であり、決して破ってはいけない約束事になります。このルールが曖昧だったり、平気で破ったりしてしまえば、その遊びは成り立たなくなってしまいます。複数人でスポーツやゲームをしていても、ルールを守らなかったりズルをしたりする人がいると途端に白けてしまうことってありますよね?遊びであってもルールは絶対にを守らなければ楽しむことは出来ないのです。

ビデオゲームにおいても、このルールをいかにプレイヤーに分かりやすく伝えるかが非常に重要です。ルールが分からないと「何をすればいいの?」「どこに行けばいいの?」「何でこれが出来ないの?」と混乱してしまいます。時々「ルールが存在せず自由で何でも思い通りに出来るゲームが面白い」と思っている人がいるのですが、これは全くの逆で、規制(ルール)の中でいかにプレイヤーに創意工夫させるかということこそが「遊び」として大事なのです。

 

⑥虚構の活動

”日常生活と対比した場合、二次的な現実、または明白に非現実であるという特殊な意識を伴っていること。”

分かりやすくいうなら、戦隊ヒーローごっこでヒーローになりきったり、ゲームの世界の登場人物になって冒険をしたりといった、架空の人物や世界を作りだしてそこに浸っている状態です。これは明確に日常生活とは違う虚構の活動と言えます。

ただ、もっと広く捉えるなら、何かに没頭していて日常の事など忘れてしまっている状態、かつそれが現実(日常)ではないという意識を伴っている場合、それは虚構の活動をしていると考えています。

 

遊びの定義まとめ

以上の6つの定義全てが満たされたモノが「遊び」ということになります。この「遊び」という言葉と近いニュアンスとして「娯楽」という言葉もよく使われますが、「遊び」は「娯楽」の中に含まれるモノと考えることができます。ビデオゲームは「娯楽」の中の「遊び」に分類されるわけですね。

「遊び」の最大の特徴はやはりプレイヤーが能動的に行うモノであること。そしてそのポイントとなるのが③未確定の活動である点です。映画やアニメを見たり、本を読んだりすることは娯楽ではありますが、未確定の活動ではないので決して遊びではないわけです。

逆に、「遊び」になっていないビデオゲームというのは、これら6つの定義に当てはまっていないモノです。例えばチュートリアルだからとプレイヤーに自由のない操作を強制させたり、ゲーム途中でムービーが始まって一切の操作を受け付けなかったり、誰がやっても同じ行動・同じ結果にしかならなかったりといったことです。もちろんチュートリアルでルールを伝えたり、ムービーで日常生活とは違う世界へ没頭させたり、といった意味もあるので、これらが絶対的な悪ではないですが、プレイヤーがゲームに求めることは「遊び」であることを忘れてはいけません。特にゲーム序盤でプレイヤーが「遊び」を感じてられないと、もうそのゲームが嫌になるかもしれません。

 

 

 

遊びの分類

カイヨワは遊びの分類についても、4つの大きな区分を提案しています。その4つとは「競争」「偶然」「模倣」「眩暈」です。ただ、遊びはこれら4つに明確に分類されるわけではなく、この4つの要素が複合的に絡み合って構成されているということだけ先に言っておきます。

 

①競争(アゴン)

これは文字通り、競争を行いその結果で勝敗(優劣)を決めるものです。例えばサッカー、100m走、格闘技などのスポーツ全般、鬼ごっこ、コマ回し、カードゲーム、将棋、などなど。ビデオゲームでも例えば格闘ゲームやレースゲームなどの対戦ゲームは分かりやすい競争です。スマートフォンのゲームでも、スコアやタイムを競い合いランキングに載ることを競争しています。「偶然」の要素が絡まず実力差が明確に出れば出るルールであるほど、競技性が増していきます。

ビデオゲームにおいて、この競争は「人間vs人間」と「人間vsコンピュータ」の2つのケースを考える必要があります。

人間同士で競い合う場合、お互いに立場が平等でなければならないということが大前提となります。例えばボクシングの試合で、一方がボクシンググローブ、もう一方が拳銃を持っていたら、どちらが強いかという競争は成り立ちません。ビデオゲームも同様で一方だけがあからさまに強いキャラクターだったり、ルールを守らなかったりしたら、平等な競争とは呼べなくなります。ゲームを作る際は、どの立場の人も平等になるようにルールやバランスを考えないといけません。

平等とはいっても、扱いが難しけど使いこなせれば戦略の幅が広い上級者向けのキャラ、簡単に操作できるけどワンパターンになりやすい初心者向けのキャラといった風に、プレイヤーのスキルに依存するモノだったり、力は強いけどスピードは遅い、スピードは速いけど体力が少ないなどのキャラクターに依存するモノだったり、バランスの取り方は様々あります。最終的にプレイヤーが不公平だと感じずにプレイできることが大切です。

一方で、あまり競技性を際立たせず競争を楽しませたいのであればハンディキャップをつけることも一つの手法ではあります。例えばマリオカートでは順位が下位の人の方が良いアイテムが出やすいなどの補正を行って、実力差を埋める工夫がされています。競争の要素(競技性)をどこまで入れるのか、で遊びの分類は大きく変わってきます。

また、ビデオゲームでの競争は人間vsコンピュータという構図も存在します。人間同士の競争と大きく違う点は、人間は勝つために競争を行いますが、コンピュータは別に勝つ必要がないということです。コンピュータの役割は、いかに人間に気持ち良く勝ってもらうかという点につきます。そのため平等である必要もありません。例えば何回もプレイヤーが負けていれば、プレイヤーの傾向を分析して弱体化されたり、プレイヤーが気付く気付かないに限らず補正が入ったりといったことも行ってよいわけです。

 

②偶然(アレア)

これは運による遊びです。ジャンケンやサイコロなどはほぼ運の要素のみですね。この偶然の要素が「遊び」であるためには、予想できるパターンが有限の時に限られてます。ジャンケンなら3パターン、サイコロなら6パターンといったように、どのパターンが選択されるかを予想できること(考える余地があること)で楽しさを見い出せるわけです。トランプでババ抜きをする時も、相手の手札からトランプを引く時のパターンは決して多くはないはずです。

ただ、運だけの遊びというのは、飽きるのも早いのは誰でも分かると思います。ジャンケンを何時間も続けるのは辛いですよね。びというのはルールを覚えて、その中で最も効率の良いプレイ・行動を理解してしまうと飽きてしまいます。運だけのゲームはパターンとその出現する確率が分かってしまえば飽きてきてしまうのです。

ビデオゲームにおいては、偶然の要素だけで成り立つモノはほぼ存在しないといえます。必ず他の要素が部分的に組み合わさって構成されているはずです。その際も「次にこれが出たら勝てる」「これが出てほしい」などとプレイヤーがキチンと予想できるようにしてあげることが大切です。

 

③模倣(ミミクリ)

模倣(もほう)とは何かを真似たり、同じような行動をとったりすることです。遊びとしてはモノマネ、ままごと、ヒーロー戦隊ごっこ、仮装、演劇などがあります。そもそもこの模倣という行為は人の持つ学習機能の1つと言われています。物心ついたばかりの女の子が、何故嬉々として母親の真似をしておままごとをするのか?それは母親の行動や思考を理解するためです。

ゲームの世界の中で活躍するキャラクターに自己投影し、まるで自分が主人公になったかのように「なりきる」こともやはり模倣です。これ自体は誰もが考えやすいと思いますが、一方でそのゲームの世界も、現実世界を模倣しています。例えばよくあるドラゴンや妖精、魔法などが存在するファンタジーの世界であっても、やっぱり剣や弓といった現実に存在する武器を使っていて、その世界でも剣で切られれば血が出ます。これは現実の模倣なわけです。ファンタジーなんだから剣で切られたら血じゃなくてレタスが噴出したっていいじゃないですか。でも、剣で斬られて人間の身体からレタスが噴出しても意味が分からないですよね?現実を模倣しているからすんなりとその痛みや衝撃、良いことか悪いことかを理解できるんです。そもそもドラゴンや魔法だって、過去の空想の模倣に過ぎません。

架空の世界を作る時に大切なのは、それが非現実的な世界であっても、受け入れられる表現(現実の模倣)になっているかどうかという点です。それを判断するポイントは、その世界で自分は何をすることが正解なのかを判断することができることです。身体からレタスが出てきても、自分にとって良いことなのか悪いことなのか判断が出来なければ、その世界に没入することは出来ません。

 

④眩暈(イリンクス)

カイヨワの言う眩暈(めまい)とは、ブランコに乗っている時の浮遊感や、ジェットコースターに乗っている時の感覚のようなモノです。そういう意味でビデオゲームは体感型のアーケードゲームを除いて、あまりこの眩暈の感覚が得られるゲームは存在してこなかった気がします。

が、ここ最近注目されているVR(ヴァーチャルリアリティ)でそれに近い感覚が得られるようになったのではと思います。例えば空を飛んでいる浮遊感、落下している感覚などは従来のゲームでは得られないモノを(錯覚ではありますが)味わうことができます。現時点ではまだまだ従来のゲームから抜け切れていないようなタイトルが多いですので、いかに眩暈を与えられるかが、従来のゲームとVRゲームの大きな違いになるのではとも感じます。そういう観点からVRを使ったゲームの可能性を追及してみると良いかも知れません。

また、厳密にカイヨワの言う眩暈とは違うかもしれませんが、無心で何かに没頭していると眩暈に近い状態に陥る瞬間があります。例えば私は一時期音ゲーにハマってた時期があったのですが、一定のリズムに乗りながら無心でただ流れてくるノーツを叩いているこの時。何も考えていないのに指が勝手に動いている心地よい気分。音ゲーに限らずゲームをしていると没頭しすぎて思考が「無」になることがしばしばありますが、これも眩暈に近い現象だと思います。

どちらにしても、思考ではなく直観的な特定の感覚に陥る部分に眩暈の本質があるのだと考えます。

 

遊びの分類まとめ

最初に述べたように、これら4つの分類は単体で成り立っていることはほぼありません。競争と偶然はその割合によって遊戯性・競技性が変わってくるので、どれぐらいの比率でブレンドするかが大切です。そこに模倣する世界が合わさったり、眩暈を感じる感覚が合わさったりすることで、より没入できる「遊び」が生まれてくるというわけです。これらはもちろん先に話した6つの定義を満たしていることが前提になります。

 

まとめ

★遊びの定義は「自由」「隔離」「未確定」「非生産的」「規制」「虚構」の6つ全てを含む活動である。

★遊びの分類は「競争」「偶然」「模倣」「眩暈」。これらの要素が複合的に組み合わさっている。

ちょっとまとめがシンプルですが、ビデオゲームに通じる基本的な部分になります。これからゲームを含めた「遊び」を行う際は、その遊びがどのように活動するものなのか、どの遊びの分類がどこに入っているかを考えながらやってみると色々なモノが見えてくると思います。

 

スポンサーリンク

スポンサーリンク

LINEで送る
Pocket